中華料理 中山楼の歴史

中華料理 中山楼の昭和初期のマッチ箱

昭和7年、現在の北九州市戸畑区昭和通り(現在の浅生通り)に中華料理 中山楼は創業しました。
当時は、中国料理人2名、日本料理人2名、仲居さん10名で創業し、当時の店舗としては大きなものでした。
(左の写真は、当時の中山楼のマッチ箱の画像です。当時は、大きな店舗だけがマッチの配布をしていました。)


洋館風な概観の建物は、外観の色は薄い茶色で、2階建ての建物でした。
1階は、テーブル4席、座敷3部屋で、2階は座敷6部屋という構成で非常に大きな中華料理店として営業していました。


戦前は中華料理が珍しく大変賑わっていました。
この頃中山楼のメニューでは、麺類に今の「戸畑チャンポン」と言われる蒸麺を使用していました。 どうしてこの「戸畑チャンポン」と言われる蒸麺を使用していたかと言うと生麺では日持ちしない為、 麺を蒸し上げ日持ちするように加工を行っていました。(現在当店では、使用していません。)
この頃の看板メニューは、注文が入ると店舗の敷地内にある池に飼っていた食用の鯉をすくいあげ調理する 「鯉の甘酢あんかけ」が高級メニューとして大変人気がありました。
現在当店では、「鯉の甘酢あんかけ」は提供しておりませんが、「鯛の甘酢あんかけ」としてご提供しております。 この他にも、「酢豚」「八宝菜」等今でも中華料理の人気メニューが当時からの看板メニューとなっていました。


戦時中(前半)当店は、八幡製鉄(現在の新日鉄八幡製鉄所)、日本水産、明治製糖、 沖台鉄工所など当店の周辺の企業は、戦争による好景気によって毎日芸者が舞う宴会が続き予約がなかなか取れない程の繁盛ぶりでした。
また、官公庁や旧日本軍関係者の多数来店することも多々ありました。
戦時中(中半)は、中華料理(当時は、支那料理と言っていた)と言う事もあり当時の状況から看板を下ろしての営業を余儀なくされ、
旧日本軍の戦況が悪化すると異国料理であるが為に、よく旧日本軍より営業停止を命ぜられていました。
その後の戦時中(後半)は、疎開のために一時期間営業を停止しました。


中華料理 中山楼の昭和初期の写真

戦後は、何年からかは定かではありませんが、現在の北九州市戸畑区幸町で日本の調理人達の手によって営業を再開しました。
何度も形態を変えながら、昭和7年の創業以来幾度の苦難を乗り越え現在も北九州市戸畑の地にて営業しております。
(左の写真は、当時の写真です。当時の料理人、仲居さんなども一緒に写っています。)


現在は、戦中戦後からお店に来ていただいていた地元の皆様や、また遠方から来られるお客様、プロスポーツ選手、芸能人の方や著名人の方などにもお越しいただける店舗に成長いたしました。
この様にたくさんの皆様に愛される店作り、そして、伝統の味を守りつつ、時代にあった新しい味を取り入れ更にたくさんの皆様に愛され続ける店作りを行ってまいります。